Jphn Lennon & Yoko Ono(ジョン・レノン&ヨーコ・オノ)
1940年10月9日、ジョン・ウィンストン・レノンは、イギリスのリバプールに生まれました。音楽が彼の最もポピュラーな芸術形態として記憶に残されていく一方、彼は自分の文学と美術を愛し、1957年から1960年までリバプール美術大学で学んでいます。本来線画に興味を持っていた彼はペンやインクや墨で描く創造的かつ開放的なスケッチを好みました。
1969年3月20日、オノ・ヨーコと結婚し、二人は世界平和を訴えるため様々なイベントを行いました。ジョンにとってヨーコはかけがえのない存在だったように、ヨーコにとってもジョンはかけがえのない存在だったのです。18ヶ月の別居の果てに、ショーンを授かり、5年間の主夫生活を経て、ようやく音楽の仕事へ復帰し、誰もがジョンとヨーコの新しい作品や動きに期待を寄せた矢先の1980年12月8日、4発の銃弾がジョンを永遠に沈黙させてしまいました。

「Bag One Series」とは

音楽が彼の最もポピュラーな芸術形態として記憶に残されていく一方、彼は、自分の文学と美術を愛し、1957年から1960年まで リバプール美術大学で学びました。彼は、「In His Own Write」「A Spaniard in Works」そして「Skywriting By Word Of Month」という 3冊の本を書きイラストも描いています。

早くも1968年にジョンは視覚的芸術へと回帰する方向に動き始めます。本来線画に興味をもっていた彼は、ペンやインクで描く創造的かつ開放的なスケッチを好んでいました。
1969年、ヨーコへのウエディング・ギフトとして「Bag One」画集を描きました。それは、結婚式、ハネムーン、そして世界平和を求める彼らの請願の記録です。これはまた、エロティックなスケッチも含んでいました。

この「Bag One」シリーズは1970年1月にロンドン・アートギャラリーで展示されましたが、2日目スコットランドヤードによって閉会され、エロティックなリトグラフは没収されてしまいました。
1986年、ジョンの芸術的才能を大衆と分かつ決心をしたヨーコ・オノ・レノンは、「This is My Story Both Humble And True」と題された最初のシリーズを出版し、続いて1988年「Bag One Continued…」と「The Dakota Days」を世に出しました。これらの線画は、気紛れで詩的な、彼らがともに過ごした年月の愛すべき肖像であります。

私たちの時代の最も重要な文化人の一人によって描かれたこれらの生き生きとした作品は、20世紀の芸術へジョン・レノンが与えた二つのテーマの神髄である、「人間の愛」と「コミュニケーション」をたたえるものです。

『アートはコミュニケーションの一つであるから、自分の描いたものをみんなと分かち合いたい』という希望を強くもちながら、生前はそれが実現できなかった。その遺志をオノ・ヨーコが引き継ぎ、1986年からアートワークを発表しています。 原画は、すべて白黒だが、当初より、色がついたものの要望が多かったため、作品の彩色はオノ・ヨーコが施し、二人の協作として発表しています。

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